1000年受け継がれてきた修善寺紙を、世界へ

1000年受け継がれてきた修善寺紙を、世界へ

2022.09.01

この記事は伊豆にゆかりのあるお二人とつくりました。
ライター:染谷ノエルさん / カメラマン:齋藤洋平さん

「徳川家康にも認められたほど上質で歴史のある紙。けれど、いまは跡とりも売り先もない。その状況にワクワクする。」
そう話すのは、「修善寺紙 紙谷和紙工房」で伝統を引きつぎ、修善寺紙を広める活動している舛田さん。

「自分のちからで、イチからモノづくり」に惹かれて、和紙の世界へ

伊豆箱根鉄道にのって、ゆらりゆらり。
窓から見える景色は、山と川、たんぼといった豊かな自然。そんな風景をゆったりと眺めながら、着いたさきは修善寺駅。
伊豆市修善寺にある、自然にかこまれ、やさしい光が入りこむ「修善寺紙 紙谷和紙工房」へと足を運びます。
その工房は、歴史と伝統ある修善寺紙を受けついでいる場所。

じゃぷ、じゃぷ、と心地いい紙すきの音が、静かな工房の中にひびきます。
そこで活動する舛田さんへ、修善寺紙について伺ってみました。
もともとは、大手スポーツメーカーで働いていた舛田さん。

その会社では、やりたかったことを仕事にできていたとのこと。その一方で、組織の中にいるうちに「自分のちからでイチからモノを作りたい」という思いが芽生えたといいます。

舛田さん:
そんなとき、めぐりあったのが和紙職人の世界でした。

歴史や、モノ自体が積みかさねてきたものは、お金では買えない。
お金で買えない価値をもった伝統工芸がやりたい。
そんな思いで和紙職人の世界へと足を踏みいれ、伊豆へと移り住んだそうです。

和紙の世界にたずさわるようになった今、舛田さんが喜びを感じる瞬間を教えてもらいました。

舛田さん:
いろいろあるけれど、ここにきて初めて和紙を作ったときです。
原材料、そして木の状態から、紙にするまでを、すべて自分でやりきった。それで完成した紙を見たときは、うわぁ、ほんとうに自分でモノ作りしたんだなぁと、しみじみとした気持ちになりました。

原材料となるミツマタやコウゾなどを畑に植え、大事に育てる。ときには枯らしてしまうこともあるといいます。
ひざの高さほどまで育った、まだちいさなミツマタを見つめながら、「かわいいです」とニコニコと話す舛田さん。
とことん向きあい育て刈りとったミツマタは、煮て、塵取りなどのさまざまな加工を経て水に溶き、トロロアオイの根から抽出した「ねり」をくわえる。
そして道具をつかいながら、丁寧にすいて和紙へと変えていく。
その工程は、すぐにできるわけではありません。根気づよく向きあいつづけ、技術を知り、身につけ、ようやく出来あがるものです。

一枚いちまいを、丁寧に。
舛田さんのお話と所作からは、紙一枚を「作りあげる」心意気を感じます。

舛田さん:
和紙は、手間がかかるところが価値だと思っています。
手触りや、光が柔らかく透けるところとか、モノ自体の魅力ももちろん好きになっていってます。
でも、どちらかというと自分が時間をかけて作った、モノができるまでの過程が和紙の価値で、好きなところだと思っています。

ざらっとした手ざわり。明かりに透かすと、光がふんわりと柔らかくもれて、繊維のうつくしさが見える。そうした和紙の「モノ」としての魅力に心をうばわれています。

ただ、和紙の価値の本質は、じつは違うと思っています。
和紙の価値を一言で言うと、「手間がかかるところ」。
この一枚の和紙を作りあげるための過程は、とてもながい時間と手間がかかっています。そのプロセスこそが、和紙の価値で、好きなところなんです。

跡とりもいない売れ先もない、
その状況に、「ワクワクする」

ながい歴史をもち、地域に根づいた技術と伝統がつめこまれている修善寺紙。
その紙の上質さは、徳川家康も認めたほどだといいます。
和紙を作りあげることは、手間ひまがかかる。
けれど、その「手間」こそが和紙の価値であり魅力であると、舛田さんも感じています。
効率化がすべてではなく、受けつがれてきた技術のすばらしさを世の中に広めていきたい、と力強く話してくださりました。

しかし、そんな修善寺紙にも、ある課題が。
それは跡とりが誰もおらず、当然、売れ先もないということ。
意外にも舛田さんは、その状況を「ワクワクする」と表現します。

舛田さん:
なんの変哲もない自分みたいな若ものが伝統を引きついで、さらに自分の発想で自由にチャレンジできることが、とてもたのしい

そう話す舛田さんは、いままでの伝統を受けつぐだけではなく、新たな発想を和紙に吹きこみ、自由な挑戦をしています。

たとえば、材料に入っているチリ。
本来は、紙に雑味がでないように全工程の5割以上の時間をかけて、そのチリを取りのぞきます。チリの入っていない真っ白な和紙こそが「よい和紙」とされました。
しかし舛田さんは、このチリが入った状態の和紙も「味がある」と考えて、あえてチリが入っている和紙も作り、この和紙がさらなる使い道へ活かせるのではないかとチャレンジしています。

また和紙の新しい価値を発見してもらうために、アクセサリーなどのプロダクトを作ることも。

そこで、和紙で作った工芸品を見せていただきました。
そこには、ご祝儀袋やポチ袋、ハガキや名刺。ふわりと優しい灯りに照らされて、和紙の繊維が透けて見えるランプシェード。
そしてピアスといったアクセサリーも並んでいます。
ちいさく折られた鶴と紙ふうせん型のピアスは、浴衣とあわせればそっと耳元で揺れて、きっと修善寺に遊びにきた時間をいっそう特別にしてくれる可愛らしさがあります。

和紙に触ってみると、原材料である植物、ミツマタで作られた和紙の手ざわりはツルツルとしていて、つやがあり、気持ちよく感じます。
さらにコウゾで作られたものは、おそらく私たちが「和紙」と聞いて想像するザラザラの手ざわり。より繊維を感じられる仕上がりになっています。
舛田さんがおっしゃる「手間」を指先で感じることができ、和紙をなでながら、なんだか「いとおしさ」も感じました。

このさき、修善寺紙をどのように世の中に広めていきたいと考えているのか、伺いました。

舛田さん:
和紙は、建物などの資材に使われることがあります。たとえば壁がみや、テーブルや床にはっていたり。

舛田さんは、そのような使われ方をすることに期待をしつつも、

舛田さん:
アクセサリーやランプシェードなど、新しいプロダクトをきっかけに、ほかの誰かに、また新たな価値を感じてほしい。『他にもこういう使い方があるのではないか』って発想を吹きこんでもらいたい。
僕は最高の和紙を作る。その和紙を通して、いろいろな人や場所とつながって、新たな使い方や楽しみ方を生み出してもらえればいいな、と思っています。

 とお話してくださいました。

舛田さん:
つながりが生まれ、和紙の魅力がつたわり、使ってもらうことでさらなる魅力を感じてくれる。モノづくりの実感を、そういった瞬間に感じています。

地域の人と一緒につなげる修善寺紙

舛田さんのお話を聞いていると、地元の方への感謝の気持ちが強く伝わってきます。

修善寺紙の原材料のミツマタやコウゾを育てるための土地を借りていたり、釜で材料を茹で、蒸すときに必要な薪をいただいたりもするようです。

舛田さん:
ここに来てから、やっぱりたくさんの人と関わることが増えました。僕たちを応援してくれる人たちが地域にたくさんいて。
伝統工芸は地域に根づいた技術とモノなので、地域の方の協力なくしてはできないのです。
ですから、地域の人たちから応援してもらったり、サポートしていただいているのが、本当にうれしいです。

紙谷和紙工房では、年に一度地元の小学生に来てもらい、卒業証書に使うための和紙を紙すきしてもらう体験をしているとのこと。
いっとき休止していた時期はあったものの、工房ができた1985年からいままで、代々続いてきた活動なのだといいます。

舛田さん:
地元の方は、みんな卒業証書をすいてきているのです。だからこそ、愛着がある(のだと思う)。
地元の有志の方や、紙すきの末裔の方が中心となって続けてきた活動。自分の町の文化であり、誇りだったりするかもしれない。それが続いていかないのは悲しいこと。
だから、誰かが続けていかなければいけないと思うのです。地域貢献という意味でも、サポートしてくれる皆さんの想いをつないで、これからもやっていきたい。

と舛田さんは話します。

修善寺紙を広げる活動の一つに、観光客の方に向けて、工房の見学、そして紙すき体験を行っています。
見学については舛田さんがいるときであれば、基本的にいつでも可能。
体験については、紙すき、そして和紙についての説明はもちろん、歴史についての説明もしてくださるそう。
興味がある方には、和紙の原料となるミツマタのだんだん畑を見学してもらうことも。

舛田さん:
修善寺温泉が近いので、観光客の方もいらしてくれて、和紙について説明させてもらうと感動してもらえることが多いのです。
その瞬間は、和紙の魅力を広められてるなと感じて、とっても嬉しくなります。

連絡をしてみて、空いていればいつでも、というフレキシブルさ。
そしてお客さまの要望にあわせた体験をおこなっています。コミュニケーションを重視していて、お話をしながら、さまざまな質問や興味に応えていく形をとっているとのこと。

舛田さん:
僕と同じで、たのしんでもらうことが一番

お客さま一人ひとりに寄りそっている印象を受けました。
同じ工房に来ても、きっと感じることはそれぞれ違う。
あなただけの体験ができるはずです。

修善寺紙を、世界へ

修善寺紙の売り場は、世界。

1000年以上の歴史があるとも言われている、ながい日本の歴史と伝統的な技術がつまった修善寺紙。

舛田さん:
このつないできた歴史や技術は、すばらしい価値と魅力がある。
その魅力、そして誇りを、日本だけではなく世界に広めることが僕の使命だと考えている。

自分が引きついだ修善寺紙が、さまざまな形へと変わって、世界中に広まっていったらうれしい。

修善寺紙を世界中へ広めていくためには、修善寺温泉という観光地が近いことも一つのキー。外国人の方の観光客も少しずつ増えていって、修善寺紙を知ってもらえるキッカケになれば、と話します。

修善寺紙を広めて残すために、さまざまなチャレンジをしながら行動していることが印象的だった舛田さんのお話。
広々としたうつくしい畑に実際に育つミツマタや紙すきの様子を見て、舛田さんのお話を伺うと、昨日までより、和紙がぐんと身近に感じられます。

ウグイスがなき、ネコも遊びにくるような自然の中にたたずみ、ながい歴史につつまれる工房。
外からは、山の冷たいわき水が桶にたまる、ぴちゃん、という音が聞こえます。
思わずぼーっと見ほれてしまう、そんな空間。

そんな心地よい音が広がる場所から、挑戦をつづける舛田さんが作った修善寺紙が世界中へ羽ばたいていく日が待ちどおしいです。

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こちらの記事は、
この方々と一緒につくりました!

染谷 ノエルさん(ライター)

<コメント>
皆さんがフレンドリーで優しく、リラックスしてお話を伺うことができました。普段なかなか聞くことができないお話ばかりで、とても楽しいインタビューでした。

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齋藤 洋平さん(カメラマン)

<コメント>
舛田さんが語る修善寺紙の未来と展望を聞いていたら、ワクワクして、こちらもパワーをいただきました。

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加賀谷 奏子さん(イラストレーター)

<コメント>
伊豆のすてきなもの・場所を地図に詰め込みました。実際に訪れてみていただけると嬉しいです。

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au 5Gのある風景
日本には美しい風景がたくさんあるので、
全国各地を巡ってみました。

「自分のちからで、イチからモノづくり」に惹かれて、和紙の世界へ

伊豆箱根鉄道にのって、ゆらりゆらり。
窓から見える景色は、山と川、たんぼといった豊かな自然。そんな風景をゆったりと眺めながら、着いたさきは修善寺駅。
伊豆市修善寺にある、自然にかこまれ、やさしい光が入りこむ「修善寺紙 紙谷和紙工房」へと足を運びます。
その工房は、歴史と伝統ある修善寺紙を受けついでいる場所。

じゃぷ、じゃぷ、と心地いい紙すきの音が、静かな工房の中にひびきます。
そこで活動する舛田さんへ、修善寺紙について伺ってみました。
もともとは、大手スポーツメーカーで働いていた舛田さん。

その会社では、やりたかったことを仕事にできていたとのこと。その一方で、組織の中にいるうちに「自分のちからでイチからモノを作りたい」という思いが芽生えたといいます。

舛田さん:
そんなとき、めぐりあったのが和紙職人の世界でした。

歴史や、モノ自体が積みかさねてきたものは、お金では買えない。
お金で買えない価値をもった伝統工芸がやりたい。
そんな思いで和紙職人の世界へと足を踏みいれ、伊豆へと移り住んだそうです。

和紙の世界にたずさわるようになった今、舛田さんが喜びを感じる瞬間を教えてもらいました。

舛田さん:
いろいろあるけれど、ここにきて初めて和紙を作ったときです。
原材料、そして木の状態から、紙にするまでを、すべて自分でやりきった。それで完成した紙を見たときは、うわぁ、ほんとうに自分でモノ作りしたんだなぁと、しみじみとした気持ちになりました。

原材料となるミツマタやコウゾなどを畑に植え、大事に育てる。ときには枯らしてしまうこともあるといいます。
ひざの高さほどまで育った、まだちいさなミツマタを見つめながら、「かわいいです」とニコニコと話す舛田さん。
とことん向きあい育て刈りとったミツマタは、煮て、塵取りなどのさまざまな加工を経て水に溶き、トロロアオイの根から抽出した「ねり」をくわえる。
そして道具をつかいながら、丁寧にすいて和紙へと変えていく。
その工程は、すぐにできるわけではありません。根気づよく向きあいつづけ、技術を知り、身につけ、ようやく出来あがるものです。

一枚いちまいを、丁寧に。
舛田さんのお話と所作からは、紙一枚を「作りあげる」心意気を感じます。

舛田さん:
和紙は、手間がかかるところが価値だと思っています。
手触りや、光が柔らかく透けるところとか、モノ自体の魅力ももちろん好きになっていってます。
でも、どちらかというと自分が時間をかけて作った、モノができるまでの過程が和紙の価値で、好きなところだと思っています。

ざらっとした手ざわり。明かりに透かすと、光がふんわりと柔らかくもれて、繊維のうつくしさが見える。そうした和紙の「モノ」としての魅力に心をうばわれています。

ただ、和紙の価値の本質は、じつは違うと思っています。
和紙の価値を一言で言うと、「手間がかかるところ」。
この一枚の和紙を作りあげるための過程は、とてもながい時間と手間がかかっています。そのプロセスこそが、和紙の価値で、好きなところなんです。

跡とりもいない売れ先もない、
その状況に、「ワクワクする」

ながい歴史をもち、地域に根づいた技術と伝統がつめこまれている修善寺紙。
その紙の上質さは、徳川家康も認めたほどだといいます。
和紙を作りあげることは、手間ひまがかかる。
けれど、その「手間」こそが和紙の価値であり魅力であると、舛田さんも感じています。
効率化がすべてではなく、受けつがれてきた技術のすばらしさを世の中に広めていきたい、と力強く話してくださりました。

しかし、そんな修善寺紙にも、ある課題が。
それは跡とりが誰もおらず、当然、売れ先もないということ。
意外にも舛田さんは、その状況を「ワクワクする」と表現します。

舛田さん:
なんの変哲もない自分みたいな若ものが伝統を引きついで、さらに自分の発想で自由にチャレンジできることが、とてもたのしい

そう話す舛田さんは、いままでの伝統を受けつぐだけではなく、新たな発想を和紙に吹きこみ、自由な挑戦をしています。

たとえば、材料に入っているチリ。
本来は、紙に雑味がでないように全工程の5割以上の時間をかけて、そのチリを取りのぞきます。チリの入っていない真っ白な和紙こそが「よい和紙」とされました。
しかし舛田さんは、このチリが入った状態の和紙も「味がある」と考えて、あえてチリが入っている和紙も作り、この和紙がさらなる使い道へ活かせるのではないかとチャレンジしています。

また和紙の新しい価値を発見してもらうために、アクセサリーなどのプロダクトを作ることも。

そこで、和紙で作った工芸品を見せていただきました。
そこには、ご祝儀袋やポチ袋、ハガキや名刺。ふわりと優しい灯りに照らされて、和紙の繊維が透けて見えるランプシェード。
そしてピアスといったアクセサリーも並んでいます。
ちいさく折られた鶴と紙ふうせん型のピアスは、浴衣とあわせればそっと耳元で揺れて、きっと修善寺に遊びにきた時間をいっそう特別にしてくれる可愛らしさがあります。

和紙に触ってみると、原材料である植物、ミツマタで作られた和紙の手ざわりはツルツルとしていて、つやがあり、気持ちよく感じます。
さらにコウゾで作られたものは、おそらく私たちが「和紙」と聞いて想像するザラザラの手ざわり。より繊維を感じられる仕上がりになっています。
舛田さんがおっしゃる「手間」を指先で感じることができ、和紙をなでながら、なんだか「いとおしさ」も感じました。

このさき、修善寺紙をどのように世の中に広めていきたいと考えているのか、伺いました。

舛田さん:
和紙は、建物などの資材に使われることがあります。たとえば壁がみや、テーブルや床にはっていたり。

舛田さんは、そのような使われ方をすることに期待をしつつも、

舛田さん:
アクセサリーやランプシェードなど、新しいプロダクトをきっかけに、ほかの誰かに、また新たな価値を感じてほしい。『他にもこういう使い方があるのではないか』って発想を吹きこんでもらいたい。
僕は最高の和紙を作る。その和紙を通して、いろいろな人や場所とつながって、新たな使い方や楽しみ方を生み出してもらえればいいな、と思っています。

 とお話してくださいました。

舛田さん:
つながりが生まれ、和紙の魅力がつたわり、使ってもらうことでさらなる魅力を感じてくれる。モノづくりの実感を、そういった瞬間に感じています。

地域の人と一緒につなげる修善寺紙

舛田さんのお話を聞いていると、地元の方への感謝の気持ちが強く伝わってきます。

修善寺紙の原材料のミツマタやコウゾを育てるための土地を借りていたり、釜で材料を茹で、蒸すときに必要な薪をいただいたりもするようです。

舛田さん:
ここに来てから、やっぱりたくさんの人と関わることが増えました。僕たちを応援してくれる人たちが地域にたくさんいて。
伝統工芸は地域に根づいた技術とモノなので、地域の方の協力なくしてはできないのです。
ですから、地域の人たちから応援してもらったり、サポートしていただいているのが、本当にうれしいです。

紙谷和紙工房では、年に一度地元の小学生に来てもらい、卒業証書に使うための和紙を紙すきしてもらう体験をしているとのこと。
いっとき休止していた時期はあったものの、工房ができた1985年からいままで、代々続いてきた活動なのだといいます。

舛田さん:
地元の方は、みんな卒業証書をすいてきているのです。だからこそ、愛着がある(のだと思う)。
地元の有志の方や、紙すきの末裔の方が中心となって続けてきた活動。自分の町の文化であり、誇りだったりするかもしれない。それが続いていかないのは悲しいこと。
だから、誰かが続けていかなければいけないと思うのです。地域貢献という意味でも、サポートしてくれる皆さんの想いをつないで、これからもやっていきたい。

と舛田さんは話します。

修善寺紙を広げる活動の一つに、観光客の方に向けて、工房の見学、そして紙すき体験を行っています。
見学については舛田さんがいるときであれば、基本的にいつでも可能。
体験については、紙すき、そして和紙についての説明はもちろん、歴史についての説明もしてくださるそう。
興味がある方には、和紙の原料となるミツマタのだんだん畑を見学してもらうことも。

舛田さん:
修善寺温泉が近いので、観光客の方もいらしてくれて、和紙について説明させてもらうと感動してもらえることが多いのです。
その瞬間は、和紙の魅力を広められてるなと感じて、とっても嬉しくなります。

連絡をしてみて、空いていればいつでも、というフレキシブルさ。
そしてお客さまの要望にあわせた体験をおこなっています。コミュニケーションを重視していて、お話をしながら、さまざまな質問や興味に応えていく形をとっているとのこと。

舛田さん:
僕と同じで、たのしんでもらうことが一番

お客さま一人ひとりに寄りそっている印象を受けました。
同じ工房に来ても、きっと感じることはそれぞれ違う。
あなただけの体験ができるはずです。

修善寺紙を、世界へ

修善寺紙の売り場は、世界。

1000年以上の歴史があるとも言われている、ながい日本の歴史と伝統的な技術がつまった修善寺紙。

舛田さん:
このつないできた歴史や技術は、すばらしい価値と魅力がある。
その魅力、そして誇りを、日本だけではなく世界に広めることが僕の使命だと考えている。

自分が引きついだ修善寺紙が、さまざまな形へと変わって、世界中に広まっていったらうれしい。

修善寺紙を世界中へ広めていくためには、修善寺温泉という観光地が近いことも一つのキー。外国人の方の観光客も少しずつ増えていって、修善寺紙を知ってもらえるキッカケになれば、と話します。

修善寺紙を広めて残すために、さまざまなチャレンジをしながら行動していることが印象的だった舛田さんのお話。
広々としたうつくしい畑に実際に育つミツマタや紙すきの様子を見て、舛田さんのお話を伺うと、昨日までより、和紙がぐんと身近に感じられます。

ウグイスがなき、ネコも遊びにくるような自然の中にたたずみ、ながい歴史につつまれる工房。
外からは、山の冷たいわき水が桶にたまる、ぴちゃん、という音が聞こえます。
思わずぼーっと見ほれてしまう、そんな空間。

そんな心地よい音が広がる場所から、挑戦をつづける舛田さんが作った修善寺紙が世界中へ羽ばたいていく日が待ちどおしいです。