子どもたちがいきいきと過ごせる環境をつくりたい。

子どもたちがいきいきと過ごせる環境をつくりたい。

2022.10.04

この記事は伊豆にゆかりのあるお二人とつくりました。
ライター:加賀谷奏子さん / カメラマン:齋藤洋平さん

松崎町で林業に携わる、松崎町・地域おこし協力隊の宇野満里加(うの まりか)さん。彼女がいずれ作りたいという「訪れたひとみんなが幸せを感じられる場所」とはいったいどんな場所なのか、お話を伺いました。

自然に触れながら生活したい!と、松崎町へ

伊豆半島の西側に位置する松崎町は、伝統的な「なまこ壁」の景観が美しい、海も山も豊かな町です。
そんな松崎町で、1年半前から地域おこし協力隊として活動する宇野さん。現在は林業の知識や技術を身につけるべく修行中だそう。

「好きな風景なんです」と真っ先に紹介してくれたのは、なまこ壁の技法で作られた「ときわ橋」。そこから車で山道を20分ほど走らせ、仕事場へ案内してくれました。

宇野さん:
「いずれは山奥の古民家で、訪れたひとみんなが幸せを感じられる場所をつくりたいと思っています。そこで、林業や農業、そしてさまざまな命に触れることで自然の温かみを感じてもらって、心が豊かになっていく、そんなイメージです。」

松崎町に来る前から、漠然と自然と触れ合う生活がしたい、そういう生活を他の人にも提供できる仕事がしたいとは思っていたものの、実際に移住してみて、さらにその思いが具体的になったといいます。

未経験の林業に挑戦

林業という仕事を始めたのは、地域おこし協力隊になってからだという宇野さん。
まだまだ初心者ということで、先輩たちに見守られながら木を切っていきます。
「今日ずっと緊張してるんです」と呟きながらも、
着々と倒す木を選び、倒す方向を見極め、チェーンソーのエンジンをかけます。
ゆっくりと着実にステップを進め、さぁ、あとは仕上げだけ。コーン、コーンとくさびを打つ音が山にこだますると、軋む音を立てて木は倒れていきました。

先輩たちによると、男性だらけの林業業界にとって、女性の宇野さんは新鮮な存在だそう。宇野さんの得意なことを生かして、宇野さんだからこそできる仕事を期待しているのだとか。

原点は、海外での多様な価値観との出会い

それにしても、いったいどうして、みんなが幸せになれる居場所づくりをしようと思ったのだろう?と思い、宇野さんの活動の原点を深掘りしてみると、意外なお話が聞けました。

宇野さんは徳島生まれ。高校まではバスケットボールに打ち込む日々でしたが、大学生になりバスケットボールと離れると、手持ち無沙汰になってしまいました。そこで、海外旅行へ行くようになったといいます。
何度目かの旅で、世界でいちばん主観的幸福度が高いというフィジーを訪れたときに、フィジーの方の温かさに触れたそうです。
ファストフード店の前で夜を明かそうとしていたところ、心配した現地の方が家に招いてくれたのです。その後、なんと1か月間も住まわせてくれ、そこで幸福度の高い理由を実感したといいます。

宇野さん:
「フィジーの人たちって、自分のために何かをしてもらうよりも、人のために何かをすることが当たり前で、それをすることに喜びを感じるんです。何かをしてもらう方が嬉しいという今までの私の価値観をひっくり返されました。」

フィジーへの旅を経て「自分もだれかのためになることをしたい」と思うようになりました。
フィジーから帰国後すぐタンザニアへ旅立ち、就学前支援をしている施設で働きはじめたといいます。
そこで目の当たりにしたのは厳しい現実でした。貧困家庭の子どもたちは、教育を満足に受けられないばかりか、日々の食べ物にも困るような状況でした。
生まれた境遇によってこんなにも苦労しなければならないのかと、衝撃を受けたといいます。
日本に生まれ何不自由なく生活してきた自分と、目の前で苦しむ子どもたちは、一体何が違うのか…と。

なんとかしたいと強く思った宇野さんは、子どもたちの親を支援するための小さなファンドの立ち上げにチャレンジします。
一般の金融機関では融資が下りないような貧困家庭へ融資を行い、少しだけ利息をつけたのです。
最初こそ上手く回るかのようにみえたものの、起業も経営も未経験だった宇野さん。
だんだんと融資先からの返済が滞るようになり、ついには立ち行かなくなってしまいました。

宇野さん:
「中には、返済に苦しんで住んでいた場所から逃げてしまう方もいて。純粋に子どもたちのために、と思って始めたことだったのですが、結果として彼らの居場所を失くすことに繋がってしまい、当時はすごく後悔し、自分を責めました。
でも、やっぱり誰かのためになることをしたかったんです。
あの時の失敗の原因は、私にビジネスのスキルが足りていなかったこと。
気持ちだけじゃどうにもならないこともある。
だから、ビジネススキルを身につけなければと思い、東京で就職することにしました。」

東京で経験を積み、いざ実行へ!…とやってきたのが松崎町というわけだったのです。

理想の場所づくりで、親切の循環を目指す

宇野さん:
「いまは、ようやくやりたかったことへの実現の一歩を踏み出せているので、とてもワクワクしているんです。」

そう話す宇野さんに、今の時点で考えている今後の計画について教えてもらいました。

宇野さん:
「いずれは今住んでいるところよりももっと山奥の古民家で、いろいろな事情をかかえた人を受け入れられるような場所をつくりたいと思っています。田舎の大自然のなかでの体験を通して彼らが元気にイキイキと生きられるサポートをしたいんです。
その際のプログラムの1つとして林業や農業も考えていて、そのために今、林業や農業や木工を学んでいます。」

タンザニアや東京での経験を経て、やりたかったことへの実現のスタートラインに立った状態だといいます。
今は松崎町のみなさんに居場所を作ってもらっているという宇野さんですが、これからは誰かの居場所を作るプロジェクトを進めていきたいと意気込みます。

まだまだ夢のスタートラインにたったばかり。
これから先どうなるか予想がつきません。
でも、明るく前向きに挑戦をしつづける宇野さんなら、おもしろい方の未来へと向かっていくのだろうなと感じました。

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こちらの記事は、
この方々と一緒につくりました!

加賀谷 奏子さん(ライター)

<コメント>
飾らず、人のためにと活動する宇野さんの姿に感銘を受けました。
これからの活躍も楽しみにしています。

HP

齋藤 洋平さん(カメラマン)

<コメント>
軽トラでさっそうと現れ、作業服姿で明るく挨拶をする宇野さんが印象に残っています。これだけで「真っ直ぐでいい人!」とわかりました。目の前の仕事に一生懸命取り組み、未来を切り開いていく姿は素敵でした!

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日本には美しい風景がたくさんあるので、
全国各地を巡ってみました。

自然に触れながら生活したい!と、松崎町へ

伊豆半島の西側に位置する松崎町は、伝統的な「なまこ壁」の景観が美しい、海も山も豊かな町です。
そんな松崎町で、1年半前から地域おこし協力隊として活動する宇野さん。現在は林業の知識や技術を身につけるべく修行中だそう。

「好きな風景なんです」と真っ先に紹介してくれたのは、なまこ壁の技法で作られた「ときわ橋」。そこから車で山道を20分ほど走らせ、仕事場へ案内してくれました。

宇野さん:
「いずれは山奥の古民家で、訪れたひとみんなが幸せを感じられる場所をつくりたいと思っています。そこで、林業や農業、そしてさまざまな命に触れることで自然の温かみを感じてもらって、心が豊かになっていく、そんなイメージです。」

松崎町に来る前から、漠然と自然と触れ合う生活がしたい、そういう生活を他の人にも提供できる仕事がしたいとは思っていたものの、実際に移住してみて、さらにその思いが具体的になったといいます。

未経験の林業に挑戦

林業という仕事を始めたのは、地域おこし協力隊になってからだという宇野さん。
まだまだ初心者ということで、先輩たちに見守られながら木を切っていきます。
「今日ずっと緊張してるんです」と呟きながらも、
着々と倒す木を選び、倒す方向を見極め、チェーンソーのエンジンをかけます。
ゆっくりと着実にステップを進め、さぁ、あとは仕上げだけ。コーン、コーンとくさびを打つ音が山にこだますると、軋む音を立てて木は倒れていきました。

先輩たちによると、男性だらけの林業業界にとって、女性の宇野さんは新鮮な存在だそう。宇野さんの得意なことを生かして、宇野さんだからこそできる仕事を期待しているのだとか。

原点は、海外での多様な価値観との出会い

それにしても、いったいどうして、みんなが幸せになれる居場所づくりをしようと思ったのだろう?と思い、宇野さんの活動の原点を深掘りしてみると、意外なお話が聞けました。

宇野さんは徳島生まれ。高校まではバスケットボールに打ち込む日々でしたが、大学生になりバスケットボールと離れると、手持ち無沙汰になってしまいました。そこで、海外旅行へ行くようになったといいます。
何度目かの旅で、世界でいちばん主観的幸福度が高いというフィジーを訪れたときに、フィジーの方の温かさに触れたそうです。
ファストフード店の前で夜を明かそうとしていたところ、心配した現地の方が家に招いてくれたのです。その後、なんと1か月間も住まわせてくれ、そこで幸福度の高い理由を実感したといいます。

宇野さん:
「フィジーの人たちって、自分のために何かをしてもらうよりも、人のために何かをすることが当たり前で、それをすることに喜びを感じるんです。何かをしてもらう方が嬉しいという今までの私の価値観をひっくり返されました。」

フィジーへの旅を経て「自分もだれかのためになることをしたい」と思うようになりました。
フィジーから帰国後すぐタンザニアへ旅立ち、就学前支援をしている施設で働きはじめたといいます。
そこで目の当たりにしたのは厳しい現実でした。貧困家庭の子どもたちは、教育を満足に受けられないばかりか、日々の食べ物にも困るような状況でした。
生まれた境遇によってこんなにも苦労しなければならないのかと、衝撃を受けたといいます。
日本に生まれ何不自由なく生活してきた自分と、目の前で苦しむ子どもたちは、一体何が違うのか…と。

なんとかしたいと強く思った宇野さんは、子どもたちの親を支援するための小さなファンドの立ち上げにチャレンジします。
一般の金融機関では融資が下りないような貧困家庭へ融資を行い、少しだけ利息をつけたのです。
最初こそ上手く回るかのようにみえたものの、起業も経営も未経験だった宇野さん。
だんだんと融資先からの返済が滞るようになり、ついには立ち行かなくなってしまいました。

宇野さん:
「中には、返済に苦しんで住んでいた場所から逃げてしまう方もいて。純粋に子どもたちのために、と思って始めたことだったのですが、結果として彼らの居場所を失くすことに繋がってしまい、当時はすごく後悔し、自分を責めました。
でも、やっぱり誰かのためになることをしたかったんです。
あの時の失敗の原因は、私にビジネスのスキルが足りていなかったこと。
気持ちだけじゃどうにもならないこともある。
だから、ビジネススキルを身につけなければと思い、東京で就職することにしました。」

東京で経験を積み、いざ実行へ!…とやってきたのが松崎町というわけだったのです。

理想の場所づくりで、親切の循環を目指す

宇野さん:
「いまは、ようやくやりたかったことへの実現の一歩を踏み出せているので、とてもワクワクしているんです。」

そう話す宇野さんに、今の時点で考えている今後の計画について教えてもらいました。

宇野さん:
「いずれは今住んでいるところよりももっと山奥の古民家で、いろいろな事情をかかえた人を受け入れられるような場所をつくりたいと思っています。田舎の大自然のなかでの体験を通して彼らが元気にイキイキと生きられるサポートをしたいんです。
その際のプログラムの1つとして林業や農業も考えていて、そのために今、林業や農業や木工を学んでいます。」

タンザニアや東京での経験を経て、やりたかったことへの実現のスタートラインに立った状態だといいます。
今は松崎町のみなさんに居場所を作ってもらっているという宇野さんですが、これからは誰かの居場所を作るプロジェクトを進めていきたいと意気込みます。

まだまだ夢のスタートラインにたったばかり。
これから先どうなるか予想がつきません。
でも、明るく前向きに挑戦をしつづける宇野さんなら、おもしろい方の未来へと向かっていくのだろうなと感じました。